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三重県津市について

三重県の津市を調べてみよう

三重県、といえば何を思い浮かべますか? 恐らく大半の人が伊勢神宮と答えるでしょう。最近の話題としては式年遷宮が行なわれていたこともあって、大いに盛り上がっていた伊勢神宮ですがこちらが所在しているところは三重県となっています。伊勢神宮もそうですが、様々なものがある三重県に住んでみたいと思った人もいるのではないでしょうか。伊勢神宮が近所にあるというのは素晴らしいことかもしれませんが、近場にあるほど行かなくなるとはよく言いますがせっかく日本において歴史の古い神社が近くにあるけど、何時行っても人でごった返しているというのは正直億劫になってしまいます。そうですよね、毎年何千万人という単位の人が神宮目当てに来るというのは、近場に住んでいる人にとっては迷惑をこうむることになりかねますよね。伊勢市に住むのも良いですが、やはり三重県といえば中心地でもある津市に住みたいと考えたほうがもっともではないでしょうか。何だかんだで都会に住んでいたほうが便利ですし、都会に住んでいたほうが伊勢神宮に訪れても常に人ごみにもみくちゃにされて良いのではないでしょうか。
さて、この津市ですが三重県の県庁所在地もあるところとなっているので三重県の経済そのものを支える中心的な存在といえるでしょう。さすがに伊勢神宮が三重県の中心点ということはないので何ともいえないと思いますが、津市のことをこちらの原稿を読んでいる方はご存知でしょうか?調べてみると実は様々な史実があったりして非常に面白いんですよ。そんな興味深い歴史が秘められている三重県は津市のことをまず始めに紹介したいと思います。

三重県の中心点、かな?

三重県の中心で何かを叫ぶことはありませんが、そんな三重県津市は伊勢平野の中心として発展している三重県の臨海都市にして最大の面積を持っています。三重県最大の面積を持っているのですが、実は面積が広いからといっても人口もそれに比例しているというわけではないのです。どれくらいの人が住んでいるのかというと、なんと一時期は16万人という県庁所在地がある日本の都道府県のなかで最も少ないというのです。面白い結果ですね、三重県の中で最大の面積を誇っているにも関わらずそこに住んでいる人の数は県庁があるということを入れても日本全国で最小数となっているというのは、何かしら理由があるのかもしれませんね。その後平成の大合併を経て現在の人口としては四日市市に告ぐ三重県内第2位となっている約28万人となっています。さすがに県庁所在地があるところで一番最小の人口というのはアレですけど、それでも全国で38番目と下の方に位置しています。30万近くになってもそれでもなお下から9番目というんですから、その他の県庁所在地を考えたら非常に少ないというのもよく分かります。
ちなみに、日本全国で最も県庁所在地がある街に人口が密集している地域といえば、神奈川県横浜市で『3,697,006人』と、圧倒的な人数が住んでいるのです。それに比べて東京都の場合は『326,708人』と、全国ランキングで32位と三重県と比べたらそこまで大差がないことが分かりますね。東京の場合はうまい具合に分散しているのかもしれませんね、それに比べたら横浜はもしかしたら住宅街が密集して市としての範囲が広いからこそこれだけの人数が多くなっているのかもしれないですね。

一極集中型都市傾向にあり

三重県のこちら津市こそ人口がそれなりに集中していると見られますが、三重県の最南端に位置している『美杉村』は、日本全国の地域の中で過疎地域として認定されているのです。そうなると、都市部とこうした田舎地域の差は非常に大きくなっているというしかないでしょう。美杉村に住んでいる人たちからすれば、日々の生活には困ることが非常にあるかもしれないですね。そうなるといくら東京都でも郊外に位置しているからといって、こういった過疎地域と認定されている郊外と比べたら雲泥の差が出てしまっているのは明白でしょう。そう考えると都下に住んでいるからって悲観するのは贅沢ということになりますから、都会に住めているというだけでありがたく思わなくてはいけませんね。
三重県津市に県庁所在地こそ存在しているので中心的な都市となっていますが、元々三重県の経済や工業の中心地としては四日市市が三重県の産業としての中心となっています。でも皆さんお分かりのとおり、昭和時代の産業発展によって起こってしまった公害の一つ、四日市ぜんそくが発生したということで名前を知っているという人もいるでしょう。今でこそそんな心配をしている人も少ないと思いますが、こういう情報はそのまま浸透して、今で郊外にかかってしまうという強迫観念にとらわれてしまった人が、発生から暫くの間は続いていたかもしれません。もし四日市市で公害が発生するようなことが起きなければ、もしかしたらそのまま四日市市が中心地として活発に発展したかもしれませんね。

津市の歴史

津市としての歴史が始まったのも港としての経済的な発展からでした。古い時代、それは古代の時代から日本の主要港となっている三津七湊のひとつである『安濃津』が、当時日本の中心であった平安京にとって重要な経済拠点として利用されていたことがそのすべての始まりであるといえるでしょう。日本は元々島国となっていますから、古代の時代から船を使っての貿易活動というのは重要な経済航路となっていることはよくお分かりでしょう。船がなければ他国とまともに商売も成り立たなかったのかもしれません。この安濃津港が経済的にその後も発展をしていくのですが、1498年の明応地震が発生したことによって起こった津波によって港そのものが崩壊してしまったのです。崩壊の様子は近年発生した東日本大震災の際に東北地方を襲った津波を想像出来れば分かるでしょう、アレくらいの濁流が発生してしまえばたちまち人間が創り上げた街なんて簡単に滅亡の一途を辿ってしまうのは当然ですね。
その他の歴史としては江戸時代の外交文化使節『朝鮮通信使』を真似た『唐人おどり』が伝承され、現在でも毎年秋に行なわれている津まつりにて盛大に披露されているほど、津市独特の伝統文化として発展している側面もあります。経済的に発展しているということは、それだけ人の行き来が激しいということ、この踊りが誕生した頃から全国的に盛んに取引が行なわれていた経済都市としての特色を持っていたことが、今日の三重県に引き継がれているといっていいと思います。
まぁそれを引いても何より、三重県には伊勢神宮という日本の神社の中でも古い歴史を持っている神様と邂逅できる場所がありますから、当然その神宮に行く途中で津市による人も大勢いたでしょう。まだ人間が自動車という機械仕掛けの移動方法を有していない場合には日本全国何処へ行くにしても何日も歩いて旅していたのですから、伊勢神宮へと向かう道中に津市によって休むという人がいたのです。そのため、やはりこれも江戸の時代には伊勢神宮へと向かう人たちのために宿場町として栄えていた時期もありました。とはいっても、津市から現在の伊勢市まではおろか、伊勢神宮までの距離としてはかなり離れています。現在でこそ電車という鉄の箱が移動する手段を用いればそんな距離もあっという間につめることも出来ますが、歩くとなったら何日掛かることになるんでしょうかね。現代人からすればある意味修行の一環として利用するのも良いかもですね。

津市の産業

三津七湊の一つとして日本でも有数の良港を抱えていた津市でありますが、船に関する技術などはその後も発展を続けていきました。中でも1967年には日本鋼管津造船所が開設されるなど、造船立国として名高かった頃から引き続いて港の機能としては世界最大級となっています。
具体的にいうと、収容できる船としては最大50万t級のタンカーでも造ることが可能なドッグを保有しており、高さとしても約80mの門型クレーンが並んでいるのです。独特の両開き式ドッグでは30万t級船舶に関しては、常時1隻半は建造することが可能となっているのです。伊達に港湾都市として発展しただけのことはあるというもので、名桜地震で港が崩壊するという危機を経験しながらもその後ココまで現在の形に集約することが出来たのは、やはりそれだけ津市にとって港からの経済発展が非常に重要なことだったことを意味していると取れます。そのため現在の津市は世界的な規模でも見ても最大級となる鋼構造物製作工場が出来るなどの発展を遂げることに成功したのです。元々経済発展を著しく遂げたのは四日市市でありますが、それに負けず劣らず津市もまた海沿いに面している街にあるという特色を活かしての経済発展を果たすことに成功したということになります。
その他、食品メーカーとしては大手の肉まん・あんまんを製造している井村屋製菓や、懐かしい味をいつでも感じることが出来るベビースターラーメンを始めとしているスナック菓子を製造しているおやつカンパニーといった、大手食品メーカーの本社もココ津市に拠点を置いています。確かに食品関係としたら業界でも大手に位置しているといえますが、それでも津市としては港での経済産業の方が圧倒的に大きな利益を上げているといえるでしょう。

津市の食文化

津市にも名産と呼ばれるものは存在しています。その中で最も代表的なものというのは『天むす』・『いちご大福』・『ひつまぶし』・『たいやき』・『味噌かつ』等といわれています。このうちたいやきに関しては詳しい出自が判明していないというほか、ひつまぶしと味噌かつ、に関してはそれぞれ名古屋とかぶっているという説もあるため、具体的な出自としては愛知県の名産品として考えたほうが良いかもしれないでしょう。
そして極めつけは天むすです、私もこの原稿を書いているときに天むすの発祥が元は津市だということは知りませんでした。その後名古屋の名物として扱われることになっているんですから、面白いですよね。ただ津市で初めて天むすを作り上げた人にとってはやりきれないところかもしれませんね。自分が開発した料理が何故かお隣の県が名物品として扱われてしまうことになるなど、個人的な感情で考えるなら悔しいの極みかもしれません。
いちご大福が誕生したのもこちらの津市が原点となっています。いちご大福、個人的に嫌いではありませんが元々そこまで市場規模として生産されている商品という印象は受けませんが、地元の人からすれば名物品となっているのでもしかしたら都内で買うものよりかは美味しくなっているのかもしれませんね。
津市は、平成の大合併を行なう前は人口比で考えたときに日本全国で最もうなぎ屋を経営しているところが多かった町でもあるのです。港として栄えていたということを考えれば納得いくでしょう。また江戸時代にはこの津市全体でうなぎを食べることで滋養強壮と士気向上を高めるということを目的としてうなぎ飯を食べることを奨励しているので、その後津城下におうなぎ屋を集約することになった一因となっているのです。それだけ当時から津市に住んでいた人たちにとってはうなぎを食べるということは日常的に行なわれていたことになります。養鰻場まで管理されていたが、伊勢湾台風の影響でほとんどうなぎを経営に利用していた人たちは廃業することになってしまいますが、それでも市民たちがうなぎを食べるという文化はそのまま根付いていったのです。そう考えるとここ津市でひつまぶしが有名であるというのも頷けるものです。都内で普通にうなぎを食べるとなればかなりの高額となってしまいますが、最上級のうな丼を食べるとしても肝吸い入りなどの吸い物を含めても1,500円くらいで食すことができるというのです。
また津市独特のB級グルメなるものも存在していまして、『津ぎょうざ』という直径15cmの大きな皮で餡を包んで、油で揚げた揚げ餃子が津市民にとっては定番となっているグルメの一つとして認知されています。津ぎょうざの発端としては学校給食だといわれていまして、1985年に考案されて今でも根強い人気を誇っていることから、津市のある種名物品としてその地位を確立しているのです。

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